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この記事は語学・言語学・言語創作 Advent Calendar 2024 のために書かれました。
この記事をお読みのみなさんの多くはおそらくエスペラント をご存知なのではないでしょうか。19 世紀後期に設計され、現代に至るまで話者を獲得しつづけている補助言語 です。
しかしながら、エスペラントの覇権に異議を申し立てる人もいます。とくによく耳にするのは、この言語が欧州中心的(eŭrop-centra; eurocentric) であるという声です。この意見の支持者は、エスペラントは語彙や文法の面で欧州の諸言語に強く依存しており、そのような非中立性ゆえに補助言語としての適性を欠くと主張します。この記事ではその主張の是非には深入りしませんが、果たして、実際にエスペラントは欧州的な言語なのでしょうか。
語彙に関する限り、エスペラントは欧州の諸言語に多くを頼っています。中国語やアラビア語の影響は固有名詞的な部分に見られるばかりで、主要な内容語はおおむねロマンス諸語、ゲルマン諸語、スラヴ諸語、ギリシャ語などに由来します。私の知る限り、「ザメンホフは時代的制約により欧州の言語以外を取り入れる機会や能力に恵まれなかった」とする論者こそあれ、「そもそもエスペラントの語彙は欧州的ではない」とする論者はほとんど見かけません。
さて、文法についてはどうでしょうか。欧州諸語の影響があるという声を挙げる者もいれば、それほど欧州的ではないとする者もおり、語彙を語る場合と比べて意見が分かれています。そこで、本稿では、エスペラントの文法をデータに基づいて分析し、その欧州らしさの程度を測ることを目的とします。
SAE (Standard Average European; 標準ヨーロッパ語 ) は、ロマンス諸語やゲルマン諸語などのヨーロッパの各言語を含む言語連合 (Sprachbund。文法や音韻について共通点のある、必ずしも系統関係にあるとは限らない言語群) です。以降、 SAE の特徴が「欧州らしさ」であると考えて話を進めます。
素朴に考えれば、SAE に特有の(そして、SAE 以外にはあまり見られない)文法構造を多く有している言語は、そうでない言語と比べて欧州中心的であるといえそうです。では、その構造とはどのようなものでしょうか。
Haspelmath(2001) はこの構造に言及した論文です。そこでは欧州語に特異な 12 個の特徴が挙げられています。以下では同論文を参考に、エスペラントと SAE の比較を行ないます。また、参考として、エスペラントよりもヨーロッパ度が低いとしばしば主張されるworldlang の代表として、Globasa も SAE と比較することにします。
1. 定冠詞と不定冠詞の両方を持つ。 「片方だけを有するのは欧州以外の言語にも珍しくないが、両方を有するのは欧州的」とのことです エスペラント:はい (定冠詞 la、不定冠詞 unu)
(実はザメンホフは「不定冠詞はない」と主張している のですが、unu を不定冠詞と見ない理由が思いつかなかったので不定冠詞とします。ザメンホフの文章ではほかにも「全ての前置詞は主格を支配する」と書きながら移動の対格なるものを採用したり、「全ての前置詞には明確な固定された意味がある」と言ってみせた直後に不定の意味の je を紹介してみせるなど、言葉遣いに厳密でない部分が多々見られます) Globasa:いいえ (un は不定冠詞としても見れるが、定冠詞にあたる語彙がない)
2.関係節は関係代名詞により表現され、後置される。 エスペラント:はい (関係代名詞として使用されるのは主に kiu)
Globasa:いいえ (関係節は後置されるが、関係節を導く hu は欧州諸語の関係代名詞のようには機能しない)
3. 'have'と受動分詞による迂言的完了表現を持つ。 エスペラント:いいえ (副詞を用いて Mi ĵus diris などとする)
Globasa:いいえ (副詞を用いて Mi jaleli loga などとする)
4. 経験者格を主格で表現する。 経験者格は、 I like music. における I など、感覚や感情などを感じる主体を表す格。 エスペラント:はい (Mi ŝatas muzikon. このほか forgesi(忘れる) , bedaŭri(申し訳なく思う) なども経験者が主格。ただし Muziko plaĉas al mi という表現も可能である)
Globasa:はい (Mi suki musika. wanji(忘れる) , asif(申し訳なく思う) なども経験者が主格。)
5. 受動構文は受動分詞と繋辞によって表現される エスペラント:はい (Mi estas sciata.)
Globasa:いいえ (接頭辞 be- を用いて Mi bekone などとする)
6. 対格動詞と起動相非対格自動詞の対応がある。(例. ロシア語: изменить「変える」と измениться「変わる」) 他動詞から自動詞を派生させる方法と自動詞から他動詞を派生させる方法のうち、どちらが多いかという話のようです。前者が多いのが欧州語の特徴であるらしいです。 ここではHaspelmath(1993) に倣い、31種類の動詞対 に対応する語彙を調べ、その中に占める「他動詞→自動詞」の割合を見ることにします。詳細はこちら に別掲します。 エスペラント:はい (31 種類のうち 15 種類(約 48.4 % )が -iĝ- によって形成される。 元論文における最高割合(ロシア語の 46%) を上回る結果。)
Globasa:いいえ (訳語を発見できた 30 種類のうち、-cu ないし be- で形成されるのは 2 種類(約 6.7%)。)
7. 与格により外的所有が表現される。 たとえば、Die Mutter wusch dem Kind die Haare. (母は子供の髪を洗った。)における dem Kind (子供に)のように、与格名詞句によって「〜の」を表す構文がある。 エスペラント:はい (helpi, lavi などが al と併用される場合がある。ただし、最近の話者は al よりも対格を使用する傾向にあると思います)
Globasa:いいえ (属格に相当する 2 つの格(de または su ) で表現するのがふつう)
8. 否定不定名詞による動詞の否定 英語における nobody のように、「誰も…ない」を表す代名詞が(他の否定語を伴うことなしに)否定の表現をつくります。 エスペラント:はい (neniu など)
Globasa:はい (nilte など)
9. 不等比較における助詞 英語の than のように、比較専用の助詞を使用します エスペラント:はい (ol)
Globasa:はい (kom)
10. 関係節副詞用法による同等比較 「〜と同じ(くらい)」の「と」にあたる語が関係詞です。たとえばドイツ語では so Z wie X という構文が使用されます(wie が関係詞)。大体の場合は英語の how に相当するものが使用されていると思う エスペラント:はい (tiom granda kiom elefanto.)
Globasa:はい (denmo day kom elefan.)
(kom そのものは関係詞ではないが、語源が西洋語の関係詞。「はい」でよいのか迷ったが、元の論文では英語の as が同様の経緯を辿った例として挙げられているので、該当するものとして扱う。) 11. 動詞は主語に一致する。 英語では三人称単数現在形に -s が残る程度ですが、ロシア語などにはさまざまな語形での屈折が見られます。 エスペラント:いいえ (どの人称でも動詞の語形は一定)
Globasa:いいえ (同上)
12. 強調語と再帰代名詞が異なる。 たとえば、ドイツ語では selbst が強調語、sich が再帰代名詞です。 エスペラント:はい (強調の mem は単独では再帰代名詞として使用されない。再帰代名詞は si。なお、si mem という表現は可能。)
Globasa:いいえ (強調は seli で、これは再帰代名詞 se と修飾詞化の -li から規則的に導出される)
この結果を表にまとめると以下のようになります。
特徴 エスペラント Globasa 定冠詞と不定冠詞を持つ はい いいえ 関係代名詞(後置) はい いいえ have + 過去分詞 いいえ いいえ 経験者格 はい はい コピュラ + 受動分詞 はい いいえ 対格動詞→非対格自動詞 はい いいえ 与格による外的所有 はい いいえ 否定不定代名詞 はい はい 比較の助詞 はい はい 関係詞で同等比較 はい はい 主語に動詞が一致 いいえ いいえ 強調語が再帰代名詞 はい いいえ 「はい」の合計数 10 4 「はい」の割合(小数点以下を四捨五入) 83% 33%
エスペラントの文法には欧州的な要素が多く反映されているといえそうです。
おわりに いかがでしたか?
予想よりも明確に SAE の特徴が出ていてちょっとびっくりしました。とはいえ、今回の調査にはひとつの文献に頼り切りなところがあり、他の論文で挙げられているような特徴も合わせて再度検証してみれば異なる結果になるかもしれません。
Globasa がエスペラントよりも非欧州的なのは「それはそう」という感じですが、33% という数字を高いと見るか低いと見るかは論者によりそう。このあたりの探求は思想の人に任せておきましょう。
12 個しか項目を検討していないせいでマス目が荒い感じは否めないとおもう。ひとつひとつの項目が全体の割合を不当に高く操作している なお、時間の都合もあって取り扱いませんでしたが、他の人工言語を SAE と比較してみるのも面白いかもしれません。とくに、アプリオリで中立な人工言語を標榜する Kotava は少なくとも 8, 9, 11 に該当するようなので、そこそこヨーロッパ的と言えそうです。
長い文章になってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
文責: 来生おわり