例えば、
「私は輪郭法を理解しているのだろうか……?」
と不安になる、みたいなことがあるだろう。
だが、この不安は、いわば〈誰かにデライトについて教えるときに感じるべき不安〉だ。
すなわち、「間違ったことを教えちゃったらどうしよう」という不安だ。
輪郭法が本体だという気づき
輪郭法を理解してから、デライトは自分にとって最高のメモツールになった。(ユーザーとして不満が無い、という意味ではない。)いわば、輪郭法という情報整理の方法論があって、それが良くて、そしてデライトはこの輪郭法のためのツールなので、ついでにデライトも良い……というかんじ。
デライトを使いはじめたときは、
「このツールは面白いかも」
って感じだったが、今思うのは、本当に面白い(というか便利)のはデライトというより輪郭法である、ということだ。
デライトもデライト自体で面白い。デラングとか、操作感とか。
人に教えなくても
この満足感は、言ってしまえば自己完結している。
つまり、他の人に教える必要がない。なぜなら、もう自分が助かってしまっていて、それ自体が良いことだからだ。
もちろん、「この良いものを他の人に伝えたい」という気持ちはある。だが、ここ数年の経験上、その仕事は非常に困難だと知っている。
であれば、私はこの素晴らしいツールを、素晴らしく使いこなすことに集中したほうがいい。そして、やがて良い人間になり、「どうしてあなたはそんなに良いのですか?」と問われたときに
「デライト使ってるからです」
と自信をもって言えるような状態になっていさえすればいい。そうすれば、質問した人はデライトに興味を持つだろう。それくらい長いスパンで考えてもいいだろう。
備考
まったく同じことを4月の段階で書いている。5ヶ月スタンスが維持されている、ということだろう。